
オーロラを見上げ、氷の上ではたらき、
ペンキンやアザラシと共に暮らす……。
南極大陸からおよそ4km離れた島、
オングル島にある昭和基地。
周囲を厚い氷で覆われた地球の果てで、
日夜、南極地域観測隊による
さまざまな調査活動が行われています。
そんな現地の様子を、
迫力いっぱいのオーロラや、美しい星空写真
とともに発信するインスタグラムを発見!
日本から遠く離れた極寒の地で、
投稿者のReiさんが目にしたものが
詩のような言葉とともに紹介されています。
地球の果てで、考える
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見ているだけで、思わず心は地球の果てに?!
そんなReiさんのインスタグラム投稿ですが、
南極の自然現象を語っているのに、
人生とは何かを語っているようにも聞こえる
ちょっと哲学的な雰囲気。
自由に遠くまで飛び回ることが難しかったり、
がまんすることに疲れてしまったり。
なんだかウツウツとしてしまう毎日ですが、
投稿者のReiさんが南極の果てで
オーロラや満天の星空を見上げて
考えたことや、心に浮かんだ言葉の数々は、
もしかすると考えすぎがちな、あなたやわたしの毎日を、
心軽くしてくれる、ちょっとした考え方のコツが
詰まっているのかもしれません。
というわけで今回は、
“南極の果て”で考えた大切なことを、
Reiさんのインスタグラム投稿から抜粋してお届けします!
深夜。窓を開けば、空が光っている。
その景色をはっきりと見たくなり、外に出て丘に登った。
そこには満点に輝く星空を、緑や赤の明かりが彩っていた。これまで満点の星空も、オーロラも何度も見た。
その景色は、見る度に違うように見える。
同じ眺めはふたつとしてないということに改めて気づく。日本からも世界からも遠く離れた、閉鎖的環境。
そこで何かを失っているような感覚をまとう自分がいる。
その一方で、みられないものをみて、気づけないことに気づき、
できなかったこともできるようになり、新たな感覚を掴んでいる自分もいる。失っているものがあるならば、得ているものは必ずある。
その「得ているもの」に如何に焦点をあてて生きるか。
どこで、どのように生きるにしても、すべてはそこだろう。
日本からも世界からも離れた地球の果て、
南極の昭和基地という閉じた環境の中では
日本の日常はもうどこにもありません。
会いたい人にも会えず、買いたいものも買えず、
便利なコンビニだってあるわけもなく……。
でも、できないことや失ってしまったことが増えるたびに、
その空洞には「あたらしいなにか」が
ポトリ、ポトリと少しづづ量を増していることは確か。
単純に言えば、環境が変われば心の環境も変わるということ。
例えば、職場が変われば、仕事内容も出会う人も違うもの。
いまより、前の職場がよかったなぁと嘆くよりも、
いまの環境で「新たに得たもの」にじっと耳を澄ませてみれば、
これから進むべき道も、ぼんやりと見えてくるのかもしれません。
だけど、簡単にみえるもんじゃないよね?
そんな声も聞こえてきそうですが、
もちろん、見えないこともしょっちゅうあります。
「強い風は雪をふきつけ、
目先を曇らせる。
見通しのききづらい世界で
いくら目を凝らそうと、
それには限界がある」。
南極の昭和基地で働く投稿者のReiさんも、
吹き付ける雪で目の前が真っ白になった時、
こんなことを思ったそうです。
遠くが見えない時にこそ
引用元:Instagram(@0213rei)
強い風は雪をふきつけ、目先を曇らせる。
見通しのききづらい世界で
いくら目を凝らそうと、それには限界がある。
ならばただ、目の前に見えるものを見るか、
はるか遠くの目指す先をみていればいいだろう。
いろんな価値観が変化する時代なのだから、
先が読めないことも、計画通りにいかないこともある。
進むべき方向がみつからなくて、一歩を踏み出すことさえできない?
でも、南極のこんな雪に覆われた世界でじっとしていたら、
生死にかかわる事態に……。それならもう進むしかない。
具体的な道は見えないけれど、
はるか遠くで揺れている旗でもいいし一本の鉄塔でもいい。
細かい道は気にせずに、だいたいの方向だけを目印にして。
だけど強風や悪天候に巻き込まれて、
先が曇って見えなくなったら、
自分の「いま」に立ち止まって、この日常に、
どんな出会いや、どんな出来事があって、
心を動かすものはなんだろう?と、考える時間も必要なこと。
引用元:Instagram(@0213rei)
遠くの目印がわからなくなったなら、足元を見ればいいだろう。
そこにも世界は広がっている。
そしてまた、進むべき方向は見えてくるものだ。
見えない未来ばかりを探そうとしても、
まだカタチもないのだから、なかなか見つからない。
それなら、この足元をみつめながらゆっくり進む時があっても良い。
そんな深読みもしたくなるReiさんの投稿。
解釈の仕方は人それぞれですが、
あなたはどんなことを感じるでしょうか?
そして次の投稿は、夜空の月を見て気づいた
「思い込み」をテーマに書かれたもの。
紹介されている動画には、地平線から顔を出した月が、
上に昇るわけでもなく、真横にスライドしていく
不思議な様子が早送りで撮影されています。
ところで「月は昇らない」なんて、考えたことはありますか?
思い込みをいくつほどける?
地平線の上に、丸い月を見つける。
ということは、これから昇ってくるんだろうな。と思い込んだ。
写真を撮っていると、月は水平に移動していき、徐々に沈んでいった。
僕の「思い込み」は、誤っていた。月の過去の状況を勝手に想像し、
「夜、地平線付近に見つけた丸い月は、昇るものだ」
という自分の過去の経験をもとに、月の将来の動きを推測していた。自分の今いる場所、現実の過去の月の動きはどうだったか…
といったことについて、何も考えずに自分の今捉えた情報と、
過去の経験だけから、勝手に誤った未来を想像したのである。思い込みとはそういうものだ。
ものごとを常に正確に捉えるなんてことは、できない。
できることは、「自分は勝手に思い込みがちな存在である。」
ということに気づいておくことだけだろう。
思い込みがちなことを知っているだけでも、
なんだか世界は広がりそう?
それならもっと広げるためのちょっとした考え方のコツをもうひとつ。
お次の投稿は、南極で出会ったアデリーペンギンを観察していた時に
「そうか!コミュニケーションできないからペンギンに感動するのだ」という
発見をしたときの投稿から。冒頭ではこんな言葉と共に、
アデリーペンギンと出会った感動が語られていきます。
「共感し合えない」に、感動する理由
感動し、心が動くということの本質は何なのか?
それは、自分と全く次元の違うものに触れたり、
出会ったりすることではないだろうか。
つまり、今の自分とはとうてい理解し合えないモノと、
ひとときを共有することが、感動を引き起こす引き金を引くキッカケなのではないか。
引用元:Instagram(@0213rei)|投稿内容から一部抜粋
僕たちは、大自然とか、宇宙とか、思考が追いつかないような、
スケールの大きなものに感動を覚える。また、大偉人とか、大芸術家とか、
すごいスポーツ選手とかそういった理解できない人たちを見たり、
話を聞いたりすると、大きな感銘を受ける。これらに普遍的に共通するのは、
自分とコミュニケーションできないモノとの触れ合いだということである。先日出会ったこのアデリーペンギン君もそうだった。
ある日、部屋の中から外を眺めていると、遠くに黒く動く点が見えた。
僕は好奇心に任せて、外に出て近づいていった。
すると、ひとりぼっちのペンギンが海氷の上にポツンと立っていた。そのとき、僕は案の定、コミュニケーションを試みた。
とりあえずコミュニケーションをしようとしてみるのは、人間の安直な性である。声をかけたり、口笛を吹いたり、手招きをしたり。
僕は、さまざまな方法でコミュニケーションをしようとしてみた。
しかし、僕の働きかけに対するフィードバックは何もなかった。
たまに首を横を向けたり、上を見たり、ふと羽を広げたり、身振りしてみたり。
テクテク歩いたり、腹這いになってみたり。
僕の行動とは無関係なことばかりしていた。しかし僕は、失望することはなかった。
逆に、そのマイペースさに、大きな癒しと感動を覚えた。この「非コミュニケーション性」こそが感動の本質なのだ!
なんて、そんなことを考えた。僕が、自然の写真を撮って、それを共有したくなるのは、
その「コミュニケーションのできなさ」について、
誰かとコミュニケーションして分かち合いたいからである。
投稿者のReiさんは「感動する本質には、自分とコミュニケーションできないモノ
との触れ合い」がきっかけにあると言います。
たしかに、自然は物を言わないのだからコミュニケーションのすべがない。
かりに特殊な能力かなにかで、星や太陽と会話できたとして、
星が輝いている理由を星たちと語り合い
「そうそう!わたしもそう思う」なんて共感し合った後で、
もう一度、星を見上げてみると……。
うーん、コミュニケーションできる星は、
感動というよりも”愛着や親近感、親密感”のほうが強くなるし、
そのうちあだ名で呼んでしまいそう!
やっぱり感動の源泉には、想像もつかない相手を前に、
コミュニケーションできない「共感し会えない」が横たわっていて
圧倒的に別の次元で自分の日常から離れたもの。
そんな対象を目にした時に、大きな感動が沸き起こるのか。
だからReiさんの投稿にあったアデリーペンギンくんが
もし人間に飼育されていたら、なんとなく意思疎通ができそうで、
きっと感動というより”愛着や親近感”の方が強くなる?
じゃあこの日常で共感し合えない人と出会った時は、
それがいつか感動に変わる?
……なんだか、どんどん話が脱線しそうになるので、
また次の機会に専門家にでも聞いてみたい!
(突然、曖昧なまとめ方になってしまいましたが)
そして、ここまで読んでくれたみなさんへ。
最後に、Reiさんの投稿から、こんなメッセージを。
まずは動画をぽちりとご覧ください。
この投稿をInstagramで見る
明けない夜もあれば、昇らない太陽もある。
日本の日常ではありえないけれど、
ありえないものが、南極では日常にあるのだから。
遠くが見えないことも、
思い込みも、共感し合えないことも。
そんなこともあるよね、と、誰かと語り合ってみたくなる。
今回は、南極に滞在中のReiさんのインスタグラム投稿からご紹介しました。
(文:亀口美穂 写真:Rei Niimi/ instagram投稿より)